お侍様 小劇場 extra

     “春猫の声”〜寵猫抄より
 


昼間の陽気もどんどんと濃くなり、
桜の便りも聞かれるほどに、春もいよいよ間近となって。
だがまだ今少し、明け方なんぞは随分と冷え込んで、
ついつい布団から出るのだけは、
真冬なみに億劫な頃合い。
静かな町角のどこからともなく、
静かだからこそ くっきりと聞こえて来るのが、


  ま"〜う、うな"〜う、な"〜ん…


鼻にかかったような甘さと、
妙に低くて野太いところとを持つ、独特の声音。
古いレコードからこぼれているかのような、
どこか作り物めいて聞こえなくもない濃厚さだからか。
それとも、たいそう静かな宵やら早朝やらに、
特に聞こえて来るからか、おやや?と耳につきやすく。
赤子のただならぬ泣き声とも似ているので、
何でこんな外れた時間にと、
人間の耳にも気になりやすい声だったりし。

  ―― してその正体はといえば

暖冬だとこういうものも早まるものか、
三月の始めあたりから聞こえていましたよとは、
七郎次が後から教えてくれたこと。
春の到来の象徴、
新しい命の息吹をもたらすための前哨戦。
そこいらに たむろする猫たちの恋の鞘あて、
いわゆる“さかり”が始まったらしくって。

  な"〜ん、うな"〜う、ま"〜う…

どこからするやらと、
わざわざ窓辺まで立ってゆくほどのことじゃあなし。
とはいえ、妙に耳につく種の声なので、
気になるのと比例して、
いい気持ちで眠っていたところから、
意識がぐいぐいと覚醒へ向かわせられるのが何とも癪で。
まだ微妙に半端な時間帯、
いわゆる黎明という頃合いの、つまりは日の出前だったりすると、
放射冷却が起きる関係から、寒さも最も厳しい間合いだってのに。
何でまた猫ごときに起こされにゃあならんのだと、
その理不尽さへ当てどころのない憤懣を抱えてしまう、
あんまり爽やかじゃあない一日の始まりになりかねず。

  「…どこぞの飼い猫じゃああるまいな。」

独り言を言うような人じゃあないので、
ああこれは、こっちが起きているのに気づいたなと。
これ以上はない すぐの間近、
そりゃあ暖かい御主の懐ろへと掻い込まれて寝ていた七郎次が、
けだるげなお声の勘兵衛の呟きへ、
くすすと微笑いつつ応じて差し上げる。

 「どうでしょうかね。ここいらにはあんまり野良はいません。」

きちんと避妊処置をした上で、その外出を許しているものか。
野良はさして増えぬままに、首輪をした子しか見かけませんよと。
こっちはまだまだ座敷猫の域を出ない、
ずっとずっと幼いままの仔猫と、
ともすりゃ日がな一日遊んで過ごすという日課が増えた秘書殿。
庭などへ来る顔触れにも詳しいか、そんな言いようで応じてやれば、

 「久蔵が狙われておるのではなかろうな。」
 「まさか。」

つぶらな瞳は潤みも強く、
にゃぁあんと鳴く甘え声の幼さといい、
まだまだ小さな肢体をした、愛くるしい風貌といい。
人からのみならず猫の世界でも、
そりゃあ愛らしいと思われそうな可憐さなのかもしれないし…なんて。
四方八方のどこから見てもの文句なく、
親ばか発言以外の何物でもないお言いようをする勘兵衛様、

 「いっそ、儂かお主とねんごろになるならともかくも。」

  ……もしも〜し。
(苦笑)

何をかいわんやという“トンデモ”発言にまで至った御主へと、
まったくもうもうという くすくす笑いを何とか押さえ込み、

 「あの子は男の子ですし、
  それに、さかりというのは本来、
  大人猫へ夢中になり合うものなんじゃあありませんか?」

何たって最終目的は“子供を成すこと”だ。
女の子からのアプローチが無いこともないのだろうが、
だったら尚更に、強くて頼もしい雄が求められるはずで。

 「そうだろうか。」
 「そうですよ。」

何を珍妙な取り越し苦労なんてなさってますかと言いかかった七郎次が、
ハッとして……自分の腰あたりへ手をやれば。
寝相の弾みでパジャマの上着がめくれ上がっていたそこへ、
温みも馴染んで心地いい、誰かさんの大きな手が、
そこから“下へ”とすべり込みかかっていたのへと重なって。

 「……何してますか。」
 「なに、目が冴えてしもうたのでな。」
 「だからって…。」

カーテンは引いたままだが、それでも室内は随分と明るくて。
少なくとも、同じ布団の中にいる人の、
間近になったお顔に浮かぶ、
目許をたわめた悪戯っぽい笑いようとかくらいなら、
あらためて明かりを灯さずとも十分見て取れる。
まだまだ寝顔から立ち上がり切ってはいない、
どう考えても真剣に引き締まってるお顔じゃあないというに。
何でこうも、

 “〜〜〜〜〜憎めないお顔なんだろか。////////”

男臭くて素敵だとまで感じてしまう自分は、もしかせずとも病膏肓。
これが少しほど以前のことだったなら。
朝っぱらから そんな気になるとは はしたないとか、
お元気ですねぇなんてな皮肉の一つも出ていたものが。
このところの今の今だけは、
そういう強腰だったのって誰のお話?というほども、
ヲトメ返りしている こなた様だったりし。

 「…ちょ、ちょっとだけですよ? /////////」
 「判っておる。」
 「じきに久蔵だって起き出して来るのですし。」
 「ああ。」
 「それに、朝は結構忙しいのですし。」
 「知っておる。」
 「それにそれに、あのその…。//////」

悪あがきとも言う無駄な抵抗して見せる七郎次へ、
さすがに業を煮やしたものか。
島田せんせい、それは重々しい声になり、


  「いい加減に黙らんと、ちょっとじゃあ済まぬ扱いをして黙らせるが。」
  「〜〜〜〜〜はい。///////」





        ◇◇◇


何でだか人間の雄までがそそられてしまった、春猫の睦みのお声だが、
こちらの家人でもある仔猫に至っては、
まだまだ全然、関与してない模様であったりし。

 「にぁん?」

もう随分と陽も昇った頃合いだってのに、
どこか遠くからの甘い声が聞こえて来。
暖かいからと、リビングの窓を少々開けての濡れ縁代わり、
庭先に足を降ろす格好で腰掛けて、
お膝に座らせた小さな仔猫さんの綿毛のような金の髪、
丁寧にブラッシングしていたものだから。
おお、もしかして今のへ反応したものかと、
内心ドキドキした七郎次お兄さんだったのだけれども。

 「にゃあにゃ?」

声の抑揚そのまま、何か聞こえたねぇ?とでも言いたいか、
肩越しに背後のお兄さんを見上げて来、
無邪気にもかっくりと、小首を傾げて見せただけ。
その、いかにも幼い肢体や風貌の、
まだまだ小さな、乱暴に接すればあっさりと壊れてしまいそうな、
薄い肩やら細っこい腕やら。
出来立てのマシュマロみたいに、それはそれは繊細な柔らかさで包まれた、
ほわほわする柔らかさの頬やら小鼻やら。
(いとけな)い以外の何物でもない姿の愛らしさには、
身内だからという贔屓目を差っ引いたって余りある、
見た者 蕩かし魅了する、
蜂蜜のような蠱惑が満ち満ちており。

 「人の子供のサイクルで、大きくなってくれるのへ、
  良かったなぁって思うのは、
  きっと間違いなく、私の勝手な想いようなんでしょうね。」

早い子ならば半年でもう、大人と同じくさかりを迎えもするらしいのに、
そしてそれこそが“自然”なのだろに。
そうではないこと喜ぶなんて、もしかせずとも罰当たりなこと。
人でもないのに猫でもないなんて、
その先々で最も困る立場に立つのは、間違いなくこの子だってのにね。

 「…久蔵。」
 「にゃ?」

ひょいと抱えて座っていた向きを変えさせ、
向かい合っての神妙なお顔。
降りそそぐ春の陽に、二人ともども淡色の金絲を甘く光らせて。
これもおそろいの、玻璃玉のような双眸を、
何を言うでなく見交わしておれば。
じんわりと胸へ込み上げるのは、
ただただ愛しいという、総身を振り絞られるような切ない想い。

 「何があっても、いつも一緒ですからね。」

屈託のない所作や態度でもって、
いびつに歪みかけていた自分の気持ちを、後押ししてくれた愛しい子。
当たって砕ける怖さに怯み、
御主を窮地に立たせぬようにだなんて言い訳を盾にし、
傷つきもしないが進展もしない、
そんな宙ぶらりんな立場のままでいようとした、
ともすりゃ狡かった自分へ、勇気をくれた和子だもの。
ちらりと覗く、真っ白いお米粒みたいな牙さえも可愛い、
小さなお口をぱかりと開き。
にぃあんと甘く鳴く声やその姿、
得も言われず愛らしいからってだけじゃあ…
だけじゃあな…ない、のだけれど。

 「…七郎次。何を泣きそうな顔になっておる。」
 「わっ、びっくりしたっ!」

ポーチに向かって腰掛けたまま、久蔵との睨めっこか向かい合い、
その双眸をうるうるさせているのだ、案じなくてどうするかと。
ひょいっと横合いから声をかけた勘兵衛には、
何の他意も無かったのだけれど。
そんなトランス状態にあった自分だと、
判っているからこその恥ずかしさに、
思わず跳ね上がった七郎次のお膝の上で、

 「みぁん?」

小さな仔猫もそのお尻がぴょこりと弾んだり。
春じゃなくとも、互いを想う温かい気持ちはいつもたけなわ。
やさしい陽だまりに咲き笑う声が、
そりゃあ暖かく響いていたのでありました。







  おまけ


 「そういえば、あのお兄さん猫、このところは来ないねぇ。」

ブラッシングも終えて別嬪さんが増した坊や、
割り込んで来た御主様に横取りされてしまったものの。
お隣に並んで座ったままの七郎次お兄さんにも、
愛想のお手々、
どーじょ繋ごvvと延べて来るところが可愛いったらない坊やを前に。
ふと思い出したのが、坊やの遊び相手になってくれてるあの黒い猫。

 「お兄さん? ああ、あの。」

家に居たとて、執筆中という状態が大半の勘兵衛には、
あまり“面識”がない子なだけに、

 「大丈夫なのか?」
 「何がです?」

この時期に来ないということは、
忙しい身になったからかも知れぬではないかと。
それこそ猫の世界の話だというに、
妙に真摯な言いようをする勘兵衛であり。

 「実は生傷が絶えない、喧嘩っ早い坊主なのかも知れぬ。」
 「はあ…。」
 「その喧嘩の相手がウチまで尾けて来でもしたら。」
 「隣町ですよ? あの子の住まいは。」
 「それでも此処へ足繁く来ておるではないか。」

どうやら、そういう筋の荒くれに、
大事な大事な久蔵が巻き込まれての狙われたらどうしようとか、
いかにも小説仕立てな展開を案じているらしく。

  …… 一体どこの同人誌ですか、そりゃあ。
(苦笑)

今頃 突然のクシャミに襲われているかも知れぬ黒猫さんで。
それを差して雪乃さんからは、

 『あらまあ、モテモテねぇ兵庫さん。』

噂されているの?なんて、
はんなり からかわれていたりするのかもしれませぬ。






  〜どさくさ・どっとはらい〜  09.04.01.


  *とはいえ、あんだけの男ぶりです。
   しかも猫として完璧に変化(へんげ)してもいるのなら、
   きっとモテモテの兵庫さんだってのは疑いようがなく。
   適当にあしらうもんだから、却って喧嘩も絶えなかったり?

   そして、深夜の顔合わせにて、
   ささやかなものばかりとはいえ、
   生傷いっぱいという姿になっているのへ、

    「…さかりか?」
    「〜〜〜〜〜〜。」

   相手の猫へ重傷を負わすわけにもいかぬとか、
   大邪狩りが本気になってどうするかとの手加減も大変だなとか、
   きっと色々と省略された結果の手短な一言なんだろけれど。
   どうしてだろうか、むかつくぞと。
   結構 我慢強い兵庫さんから、
   なのに猫パンチならぬ、拳骨くらってしまう、
   迂闊なキュウさんだったりすると可笑しいですvv

    「???(なぜ殴る?)」
    「やかましいっ。」

   天然は時に罪作り……。
(大笑)

めるふぉvv めるふぉ 置きましたvv

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